お腹を空いた人に魚料理を与えるか、魚の捕り方を教えるか?
まずは魚料理を食べてもらって、空腹を満たした後に魚の捕り方を教える、という考えです。
今現在困っている問題を解決して、次に今後困らないような対策、作戦を一緒に考えて勉強していきます。
満点を目指すのか、合格点を目指すのか?
- その人がやりたいことを合格点として、合格点を目標に勉強します。
「All or Nothing」 ではなく、「Beter or Nothing」 です。 - 完全を求めるのではなく、目標に向けてまずはじめの一歩を踏み出すことから始めます。
最終の自分の合格点を目指して「小さく始めて大きく育てる」という方針でいきます。
お金をかけずに独学で学ぶのとお金をかけて師匠に習うのはどちらがいいか?
私の経験では、「自分と相性のいい本物の師匠に習う」のがいいと思います。
習う側から見た「本物の師匠に習うことの大切さ」
大学受験の1浪のとき、予備校に通ってよき指導者のもと必死に勉強して目標の大学に合格できました。
独学で勉強していたら、大学に合格することは絶対にできませんでした。
自分の夢を叶えるためにはその道のプロに習うのが一番だと痛感しました。
パソコンに関していうと、私はパソコン始めるときに図書館で20冊以上の本を借りて独学で勉強をしましたが、全く理解できず挫折して敗北感をあじわいました。
ところが、パソコンの本物のお師匠さんに出会い習ったら、たった1日で知りたかったパソコンの基本を教えてもらい、翌日からパソコンを使えるようになっていました。
今のパソコンの仕事は、この時習ったことが基礎になっているので、まさに、人生を左右した出会いでした。
よきお師匠さんに出会って習うことは、圧倒的に時間の節約になるばかりか、目標達成の極意だと痛切に感じます。
教える側から見た「教えることの大切さ」
学生時代から家庭教師で子供たちに教えてきましたが、成績をあげるコツがあったので、平均20点~30点位のテストの成績の子を80点以上にして無事進学させることができました。
運動についても長年かけて見つけたエッスンスや極意を教えた場合に、その後の成長のスピードが全く違うという経験もしています。
教える側からみても、「教えることの大切さ、習うことの大切さ」を実感します。
師匠から教えてもらっても失敗する例もあるので、注意が必要です。
一番やっかいなのが、師匠側に問題がある場合です。
偽物の師匠の代表は、教える内容が単なる不完全な物まねの場合です。
高いお金だけとられて失敗します。
厄介な師匠の代表は、教える内容自体は悪くなくても、お金儲け第一主義の師匠の場合です。
私にも、この人に出会ってさえいなければ、と思う人物がいます。
本当に最悪でした。
習う側に問題がある場合
せっかくいい情報や貴重で重要なことを習っているのに、実際に実行する人、できる人はとても少ない、という現実があります。
これは、自分自身にも当てはまることで、本当にもったいないことです。